HIROTTEREAL
2007年6月1日未明、私たちITEの仲間であり、個人的には音大受験前からオランダ時代まで10年近くを共に過ごした、バストロンボーンの"HIRO"こと鈴木寛徳くんが、持病の喘息の発作から、28歳という若さで急逝しました。
私は、音楽やオランダ生活という共通のフィールドにいて同じようなゴールを目指している者として、常に近くにいて少なからず様々な影響を与え合ってきたと思います。「人格が正反対」と言ってしまってよいのではと思うほど、彼と私とではしゃべり方、振舞い方、考え方などが違って、最初は取っ組み合い・怒鳴り合いの喧嘩などもしましたが、のちのちはいわばお互いに無いものを持っているような貴重な間柄だと、勝手に思っていました。自分が行き詰ったり迷ったりしたとき、あるいはなにか後ろめたいことをしたときは、彼の顔を見てこちらからちょっと喋りだすだけで、すぐにヒントや答えになる反応をもらえたり、後悔や反省を促されたりしたものでした。
また、特にオランダでの生活を通して、多くの時間を共に過ごし、多くのエピソードや思い出が生まれてきましたが、この何倍もの長さと濃さの歴史がまだまだこの先も延々と刻まれていくはずでした。私の身の回りには彼のことを思い出すきっかけになるモノが無数にあふれていて、日々の生活の中でそれらを目にしたり耳にしたり手にしたりする瞬間瞬間に、彼の表情や言葉やしぐさやサウンドなどが絶え間無しにめぐってきて、過去にそうして彼から受け取っていたエネルギー(プラスも、マイナスも)を、私はいまだに享受しているのです。なんというか、彼はまだその辺にいて、お互いに切磋琢磨の日々が続いているような感じです。
ただ、彼の故郷・西条に、彼のいない鈴木家を訪れると、実はもうそうではないのだ、という気持ちにもなります。千の風になって、あの大きな空を吹きわたっているのですから、仕方が無いですね。
(2009/08/03)
2006年10月28日、ITEのCD"6.35"収録期間の最後のアフターパーティにて。
この二日後、スキポール空港に向かうお前をロッテルダム・セントラル駅で無愛想に送り出したあの時が、まさか最後になるとは思わんかったよの。
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